あなたのものだから

「僕、誕生日に欲しいものがあるんだ」
「良いよ。何が欲しいの? なんでも言って」
「あのね、僕、この服が欲しい」
 リビングに飾られたカレンダーの二十九日に、大きく丸印を付けていたときのことだ。隣にやってきた勇利はそう言って、俺が部屋着にしている服の裾を控えめに引っ張った。

 普段から物欲がほとんどない上に、ファッションに関心の薄い勇利が特定の服を欲しがるのは珍しい。要望に面食らったものの、断る理由は何一つなかった。勇利が強請ってくれるなら、なんだって用意してやりたい。
 Vネックのグレーのカットソーは着心地が良く、デザインもシンプルで気に入っている。記憶が正しければ、確か色違いもあったはずだ。せっかくなら選んでもらおうと早速スマートフォンを取り出せば、気付いた勇利に慌てて遮られた。
「あ、待って、そうじゃなくて」
「ん? 違うの?」
 どういうことかと首を傾げる。聞けばお揃いが欲しい訳ではなく、あくまでも今俺が着ている服が欲しいらしい。
「クローゼットにある服なら、いつでも好きなときに着て良いんだよ?」
「高いって分かってるのに着れないよ。そもそもサイズ合わないだろ。自分のサイズに合った服を選べって言うのはヴィクトルじゃないか」
 勇利の言う通りだ。服は着る人の魅力を引き立てるものであり、野暮ったくさせるのはいただけない。とは言えオーバーサイズで着るのも可愛いし、何より俺の服を着る勇利が見たいだけの、ただの我儘だ。

 だけど、そこまで言うならどうして。
 湧き上がる疑問を口に出そうとしたものの、服の裾を握る指先に迷いが見えた。理由を知りたくはあったが、無理に言わせることでもない。話す気になれば勇利から教えてくれるだろう。ひとまずこの服はもう洗濯してしまった方が良いかと考え、脱ごうとすればそれもまた遮られた。今はまだ俺のものだから、着ていても良いそうだ。律儀というか、なんとも勇利らしい。
「分かった、いいよ。洗濯して、ちゃんとラッピングして渡すからね」
「うん、楽しみにしてる」
 鼻先に軽く口付ける。頬を染めて照れくさそうに笑う勇利に、俺は胸があたたかくなるのを感じた。
「当日はどうしたい? 皆を招待してパーティを開こうか。二人きりで、レストランでディナーも良いよね。勇利は何かしたいことはある?」
「えっと、僕……。僕は、ヴィクトルと家で過ごしたい」
「良いの? 俺が独り占めして」
「独り占め、してくれないの?」
 勇利の上目遣いに、頬が緩むのを抑えられない。
「する。嬉しいな、俺の方がプレゼントもらってるみたいだ」
 お互い選手を引退してからしばらく経つ。共に過ごす時間が長くなるにつれ、勇利も自分から正直な思いを伝えてくれるようになった。素直に甘えてみせる勇利に、愛おしさは日々募るばかりだ。これから先もずっと、俺の隣で笑顔を見せて欲しい。その為に出来ることならどんな努力でもしよう。それが俺の幸せにも繋がるのだ。

 

 そして迎えた誕生日当日。二人揃って朝食を済ませたあと、ソファに落ち着いた勇利にプレゼントを差し出した。
 袋に入れてリボンを掛けるだけのはずが何度結んでも曲がってしまい、随分と苦労したのは勇利には内緒だ。そばにいたマッカチンがリボンにじゃれつこうとするのを躱しながら格闘を続けた結果、結ぶのも大分上達した。
 思えば自分でプレゼントをラッピングしたことなんてあっただろうか。幼い頃ならあったかもしれないが、今となってはもう思い出せそうにない。

「勇利、誕生日おめでとう。はい、プレゼント」
「ありがとうヴィクトル。あれ、……なんかちょっと、大きくない?」
 カットソーだけが入っているにしてはやけに大きな包装に、勇利が不思議そうな顔を浮かべる。
「開けてみて」
 練習を重ねてどうにか形になった深い青色のリボンが、勇利の指によってそろそろと解かれていく。畳んだカットソーと一緒に俺が入れたのは、大判のブランケットだった。
「よくソファで寝ちゃうだろう? 風邪ひかないように使って」
「わ、ふかふかだ。ありがとう、大事に使うね」
「どういたしまして。まあ、起きなかったら俺がベッドまで運んであげるけど」
「……うたた寝はほどほどにします」
 広げたブランケットを頭から被った勇利が弱気な声を出す。俺がわざとらしく「よろしい」と厳かな口調で返すと、顔を出した勇利と同時に吹き出した。どちらのプレゼントも喜んで貰えたようでほっとする。

 膝に載せたカットソーの触り心地を確かめるように、勇利の掌が布地の表面を撫でた。
「ね、着てみせて」
「うん」
 勇利が眼鏡を外してから着ていたセーターを脱ぎ、昨日までは俺のものだった服に袖を通す。分かってはいたが案の定ぶかぶかで、余った袖は手の甲まで隠してしまっている。眼鏡をかけ直した指先で袖口を握り、勇利が小首を傾げた。
「……どう、かな?」
「とっても素敵だ。よく似合ってる」
「そう? へへ、ありがと、ヴィクトル」
 俺が着ていた服に身を包み、はにかむ勇利がひどく眩しく見える。着替えでぼさぼさになってしまった髪を整えてやり、大事な大事なたからものを腕の中に閉じ込めた。

 

 一日のんびり過ごそうと話していたから、普段は分担している家事も今日は全て俺が済ませるつもりだった。それなのに「二人でやった方が早いでしょ?」と部屋の掃除をし始めた勇利に、敵わないなと苦笑する。俺は汚れたシーツや枕カバーを洗濯機に放り込み、寝室のベッドメイクを済ませることにした。
 昔の自分が今の俺を見たらきっと驚くだろう。コーチとなって弟子に寄り添ったことにも、誰かと一緒に暮らしていることにも。出来ることなら、将来は愛する家族と穏やかで幸せな時間を過ごしていると教えてやりたいくらいだ。

 コーヒーを淹れた二人分のマグカップを持ってリビングに戻ると、勇利がマッカチンに話しかけているところだった。
「見て見て。この服ヴィクトルのおさがりなんだ。誕生日プレゼントに貰ったんだよ。マッカチンなら、洗濯してあってもヴィクトルの匂いだって分かる?」
 ひくひくと動く鼻が服へと寄せられ、勇利の質問に返事をするように一鳴きした。
「そっか、やっぱり分かるんだ。……おさがりって、特別な感じがしない? 服はお店に行けば買えるけど、おさがりって誰かから譲ってもらうものだから。しかもヴィクトルのおさがりなんて。あ、マッカチンは別だよ。マッカチンもこの間もらってたよね。ふふ、あのスリッパ、結構気に入ってたのにって、ヴィクトル笑ってたな……」
 弾んだ声で柔らかな毛並みを撫でる勇利の様子につられて、マッカチンの尻尾がリズミカルに揺れている。
「普段なら言えないけど、誕生日ならお願いしても良いかなって。そしたら新しいものまで貰っちゃった。このブランケット、マッカチンと同じ色だよ。ねえ、ヴィクトルってなんであんなに優しいんだろう……」

 勇利に抱きつかれたモコモコの家族は、こちらの視線に気付いてするりと勇利の腕の中から抜け出した。俺の足元までやって来ると、つぶらな瞳でまっすぐに見上げてくる。その瞳は褒めて褒めてと訴えていた。リボン結びに格闘しているとき、勇利がプレゼントに服を選んだ理由が気になると呟いたことを優秀な家族はしっかり聞いていたらしい。
 マッカチンは俺よりもずっと聞き出し上手だ。悔しいが、マッカチンが相手なら仕方ない。囓られたスリッパは情報料ということで手を打とう。両手を塞いでいたマグカップをローテーブルに置き、わしゃわしゃと思う存分撫でてやる。尻尾がはち切れんばかりに振られていて、どうやらご満悦のようだ。
 勇利の方へちらりと視線を向ければ、こちらは顔を赤らめた状態で固まっている。

 コーヒーはあとでもう一度淹れ直すことに決めた。悪いけど、マッカチンにも少しだけ待っていてもらおう。ご褒美とお詫びのおやつも奮発しなくては。
 今はどうしようもなく可愛いパートナーを愛する時間だ。この状況を見越していたかのようにベッドメイクを終えたばかりの寝室へ、俺は勇利の手をひいて逆戻りした。

 俺も勇利のおさがりが欲しいなんて言ったら、聞き入れてくれるだろうか。
 来月の誕生日プレゼントとしてなら、もしかしたら期待しても良いかもしれない。

2024年4月7日