君しか見えない

「人が見てる時は、こういうことをしないで欲しいんだ」
 向かい合って座った勇利が、神妙な顔で切り出した。
 目線はテーブルの上に置かれた勇利の手と、それに重なる俺の手。俺にケアを施された勇利の手は肌理細やかですべすべとしていて、何時までも触っていたい程だ。
「何故?」
 聞きながら、指輪と指の境目を指先でじっくりとなぞる。しなやかな手がひくりと震えた。
「何故って、決まってるだろ。人目があるから恥ずかしいんだよ」
 勇利は視線を周囲にさまよわせ、落ち着かない素振りを見せた。その割には手を握られたままでいる勇利に、俺が触ること自体への拒絶は見られない。それならばと触れることを止めずにいると、今度は抗議の色が籠もった瞳で睨まれた。むっとして膨らむ頬に口付けたい気持ちはなんとか抑えこむ。今キスをすれば、恐らく口を利いてくれなくなるだろうから。

 どうやって説得しようかと思案する。俺はもう、勇利に触れていないと落ち着かないんだ。そばにいるのに触れられないなんて、そんなことは到底我慢出来なかった。
「勇利、どうしても駄目?」
 小首を傾げ、おねだりをするときのとっておきの顔をして見つめると、勇利の潤った唇からは「ん」に濁点が付いたような声が漏れ出た。この顔をすると勇利は今のように高確率で唸ったり頬を紅潮させてぼーっと惚けたりするし、場合によっては押し負けてくれる。勇利が俺の顔を好きで本当に良かった。でも、今回は簡単には負けてくれないようだ。

「だ、だって……」
 勇利が言いにくそうに口を開く。
「ん?」
「だってヴィクトル、幸せそうなんだもん!!」
「……ん?」
「僕と手を繋いだときとかキスしてくるとき! すっごく嬉しそうでキラキラしてて毎日直接浴びてる僕でも未だに慣れなくてもっと好きになっちゃうくらい恥ずかしいのにそんなヴィクトルを見たらヴィクトルに恋しちゃう人が更に増えるだろ!? そんなの嫌だよ! ヴィクトルの恋人は僕なのに!!」
 すごい勢いで捲し立てる勇利の剣幕と内容に、呆気にとられる。今の俺はきっと、誰が見ても誰一人恋に落ちないくらい間抜けな顔をしているだろう。
「ただでさえヴィクトルは格好良くて注目度抜群で目立つのに……。そんな顔しちゃやだ……」
 突如として自分の想いを主張し始めたかと思った声はあっと言う間に勢いを失い、最後にはしょんぼりと萎んでしまった。口を閉ざした勇利は俯き、表情を隠してしまう。

 なんだそれ。他の人が俺の幸せそうな顔を見て、恋をしてしまったら嫌だ? 勇利が、俺を見ているかもしれないと言う架空の相手に嫉妬している。俺を独り占めしたいと思ってくれている事実に、自然と口元が緩むのは仕方のないことだった。
 想いを叫んでいる間もずっと離されることのなかった手が愛おしい。人前で触れることを嫌がる割に離すのも嫌がる我儘で可愛い子に頭を抱えたくなる。しかも人前を嫌がるのがこんなにも可愛い理由だったとは思いもしなかった。

「気付いてる? 勇利」
 声を掛けると、勇利がそろそろと顔を上げた。叫んだ勢いか恥ずかしいのか、顔は真っ赤に染まっている。
「勇利も俺と手を繋いでるとき、とっても幸せそうな顔してること。それに最近寒くなってきたからかな、手を繋ぐと俺にすり寄って来てくれるよね」
 無意識だった? と問い掛けると、信じられないとでも言うように目を丸くした。
「嘘……。僕、そんなことしてた?」
「してたよ。俺を見上げて、照れてはにかむ顔がいつも可愛くて堪らなかった。本当は誰にも見せたくないけど、俺の隣にいるからこんなに可愛い顔をするんだって皆に見せびらかしたいんだ。だから自慢させて? 勇利も自慢してよ。俺を世界で一番幸せに出来るのは勇利だけだって」
「ヴィクトル……」
「ね?」
「……うん」
 微笑んで小首を傾げる。すると惚けたような瞳で、やっと勇利は頷いてくれた。

 チムピオーンのカフェテリアはちょうど昼時で今日も賑やかだけど、喧騒は全く気にならなかった。だって俺は、可愛い恋人にキスをするのに忙しかったからね。

2023年10月29日