朝、シャワーを浴びる前に洗面所で鏡を見る。
これが僕のルーティンのひとつだ。正確には、ヴィクトルに抱かれた翌朝の。何故かって? ヴィクトルにキスマークを付けられていないかチェックする為だ。首筋とか、見える場所にあるものは隠さないといけないから。
今日は大丈夫そうだとほっと安堵の息を吐く。
多いのは胸と背中、あとは下半身の恥ずかしくてあまり直視出来ないところ。
それからヴィクトルは僕の二の腕の内側にあるホクロにキスマークを付けるのが好きみたいで、腕を上げるとそこにも赤黒い痕が残っていた。指先で撫で、昨夜愛されたことを思い出す。付けられることは嫌じゃない。ただ、誰かに見られるのが恥ずかしいだけで。
そういえば、他には何処にホクロがあっただろうか? 特に意識したこともなかったし、ホクロを探す為にまじまじと自分の身体を見ることもないから、昔の記憶を掘り起こしつつ上から下まで見回してみる。僕はふと踝の下側にもあったことを思い出し、右足を持ち上げた。ある。ホクロもあるし、くっきりとした鬱血もそこには残っていた。
恐らくこれは他のところにも同じものがありそうだ。そう思い鏡の中の自分に目を凝らすも、目立つところには見当たらない。キスマークがある場所にホクロがあるとは限らないけど、何だかキスマークの中心を探した方が早そうな気もする。
この身体を僕よりも熟知しているのはヴィクトルだ。
きっと僕の身体はもう、ヴィクトルの唇が触れていない場所を探す方が難しい。思い浮かんだ仮説はきっと正しくて、もしそれを証明してしまったら、僕はどんな顔をすれば良い? しかも恥ずかしいだけじゃなく、嬉しいとさえ思うなんて。
鏡には百面相をした僕が映っている。裸で眼鏡をかけて鏡を覗き込む姿はどこから見ても滑稽だ。でも、どうせ誰も見ていないし。そう油断していたのが悪かった。
「なに可愛いことしてるの?」
「ヴィクトル……」
鏡とにらめっこを続けていると、昨夜僕にたくさんのキスマークを付けた犯人が洗面所の入り口にもたれ掛かっていた。
目が覚めたら勇利がいないんだもん、と朝から少しご機嫌斜めなヴィクトルがそばにやって来て、僕を腕の中に閉じ込めた。ヴィクトルの着ているガウンがふわふわと素肌に触れて心地良い。僕は広い背中に腕を回して、直接本人に聞くことにした。
「ヴィクトルってホクロが好きなの?」
質問の意図に気付いたのだろう、ヴィクトルは苦笑して見せた。
「ホクロが好きなんじゃなくて、勇利のホクロだから好きなんだ。俺だけが知ってる勇利の可愛い場所に挨拶したくてね」
「ホクロなんて可愛くないだろ……」
「可愛いよ。勇利のならね。そうだ、ここにもあるって知ってる?」
長い指先が、僕の耳のすぐ後ろをくすぐった。思い返せば、確かに昨夜もその前もよく吸われていたような。
「そんなとこにも?」
「知らなかった? じゃあ、勇利のここにホクロがあることは俺しか知らない?」
「こんなところ、ヴィクトル以外に見る人いないってば」
当たり前のことを言うと、どういう訳かヴィクトルの機嫌が直ったらしい。柔らかく弧を描いた唇で、僕の顔中にキスの雨を降らせはじめた。こそばゆくて思わず身を捩る。すると逃がさないと言わんばかりに腕の力が強まるから、僕は早々に降参して瞼を閉じた。抵抗すると余計長引くのだ。
囁かれると一人で立てなくなりそうな甘い声が、僕の名前を呼ぶ。
「ふふ、くすぐったいよ。なに?」
「俺に全てを明け渡してくれるのが嬉しくて、つい」
眼鏡を外され、閉じていた瞼をゆっくりと開いた。至近距離に映るのは、恋人の幸せそうな表情。
「許されるのは、俺だけだろう?」
「もう。そうに決まってるだろ」
しょうがない人。僕がヴィクトルしか見てないって、自分が一番良く知っているくせに。仕返しに、目の前の唇にそっと噛みついてやった。そんな小さな反抗にも、愛おしげな眼差しは変わることなく僕へと注がれている。
背中と首筋を辿り、僕の後頭部を大きな掌が包む。何をすれば僕がよろこぶのかを誰よりも知る唇が愛を囁いた。この柔らかくくすぐったい雨は、まだしばらく止まなさそうだ。