暗がりには愛が潜んでいる

 ヴィクトルの腕は重たい。 
 胸の上に重みと温かさを感じ、僕は目を覚ました。
 仰向けで寝ていた僕の胸の上に、ヴィクトルの右腕が乗っている。ヴィクトルは横向きで、僕を抱き込むようにぐっすり眠っていた。腕って結構重いよね。ヴィクトルと恋人同士になるまで、僕はそんなことも知らなかった。

 人の片腕の重さは体重の約六パーセントを占めているらしい。昔実家で見たテレビ番組で、確かそんなことを言っていた。僕は自分の体重ばかり気にしているからヴィクトルの体重までは知らないけど、大体七〇キロだと仮定すれば片腕は四・二キロってところかな。うん、なかなか重い。しかもヴィクトルみたいに筋肉量が多ければ、きっとそれよりも重いのだろう。この比率がロシア人にも適用されるのかは、僕には分からないけど。
 胸の上に置かれた腕を動かさないように注意しながら、そっと顔だけをヴィクトルに向ける。匂い、体温、緩やかな呼吸。腕の重みすら、全てが僕を安心させてくれる。真夜中に目が覚めたときだけの、僕の贅沢な時間だった。

 眠るヴィクトルの肩越しに、大きな窓に掛けられた遮光カーテンが見える。遮光カーテンは外からの光を通さず、白夜のシーズンでも電気を消してしまえば真っ暗だ。人種的な違いのせいか、ヴィクトルは暗くても周りが見えるらしい。僕は目が悪いのもあって、目を凝らしてもぼんやりとした輪郭しか掴めなかった。
 同じベッドで眠るようになってすぐのことだ。遮光カーテンの暗さに驚いた僕が、夜中にトイレに行きたくなったとき何も見えないね、と軽い気持ちで話したら、それを聞いたヴィクトルが慌てて間接照明を用意してくれた。
 気付けなくてごめんね、転んで怪我をしたら危ないからと申し訳なさそうに謝られてしまい、僕は何気なく口にしてしまったことを後悔した。こんなことを言えばヴィクトルがどう思うかなんて、考えなくても分かるはずだったのに。ヴィクトルはいつも優しいから、気を付けないと僕はつい甘えてしまう。
 起こしてくれて構わないとも言われたけど、ヴィクトルの睡眠を妨害するなんて以ての外だった。

 今は光源を最小限にまで絞られた間接照明が、ヴィクトルの寝顔を照らしていた。睫毛の長い影が顔にかかっている。顔立ちが整っていて、眠っていても見惚れてしまうくらい格好良い。とにかく全てにおいてバランスが良いのだ。僕の大好きなアイスブルーの瞳が隠れていても、ヴィクトルの魅力が損なわれることは一切なかった。僕は息を潜めて、安らかな寝顔を見つめた。
 キスしたいな。でも、動いたらきっと起こしてしまう。どうしようかと迷っている間に、気付けば僕はヴィクトルの唇に顔を寄せていた。

 ふに、と優しく唇を触れ合わせる。
 満足して元の位置に戻ろうとした僕を、力強い腕がヴィクトルの胸元へと引き寄せた。額に、僕がさっき唇で触れたばかりの柔らかいものが当たる。
「そういうのは起きてるときにして、勇利」
「ヴィクトル、起きてたの!?」
「勇利がキスしたいって言うから目が覚めたんだよ」
 瞼に隠されていたアイスブルーが僕を捉えると、緩やかに細められた。
「嘘、僕声に出てた……?」
「ふふ、出てないよ。でも、すっごく視線を感じたから」
 声に出すより恥ずかしい。目は口ほどにものを言うってことわざも確かにあるけど、寝ている人にまで通用するなんて。顔に熱が集まっていくのが分かる。
 そんな僕を、ヴィクトルが嬉しそうに見つめていた。

 ぎゅっと僕を大事に抱き締めてくれるヴィクトルの腕が好きだ。眼差しも声も心も、ヴィクトルの全てが。この腕の中でなら、自分の気持ちを隠さずに曝け出すことが出来る。

 二人だけの真夜中の時間もたまらなく贅沢で、たまにはこんな夜も悪くない。そう思いながら、今度は言葉で素直に口付けを強請った。

2023年10月29日