夜はのびたり縮んだりするので

 今日、えっちするのかな?
 膝の上に乗せたマッカチンを撫でてリラックスしているヴィクトルを、僕は横目でこっそりと窺った。

 先ほどからテレビで流れている野生動物のドキュメンタリー番組は、正直あまり頭に入ってこない。広い草原で繰り広げられる弱肉強食の世界より、ヴィクトルの視線の向かう先が気になって仕方ない。
 有り体に言えば、今夜僕はヴィクトルに食べられたいのだ。肉食獣に狙われ食べられてしまった草食動物のように、この身体を丸ごとぺろりと。骨の髄まで愛されたい。自らそう望むほど、身も心もヴィクトルに愛されてしまった。
 でも明日は朝からデートしようって言っていたから、やっぱり今夜はしないかもしれない。ヴィクトルって昼間は紳士なのにベッドの上では激しいから、朝起きられなくなっちゃうんだよね。思考につられて二人で乱れた夜を思い出してしまい、人知れず赤面する。
 正直に言えば、夢中になってヴィクトルの背にしがみつく夜も、何もせず身を寄せ合って眠る夜も好きだった。僕だけを映す甘やかな瞳が愛してると伝えてくれる。僕はそれを見るのが好きなんだ。

 穏やかな表情でマッカチンの背中を撫でているヴィクトルに、もう一度密かに視線を向けた。マッカチンは気持ちよさそうにもふもふの尻尾を振っている。良いなあ。僕もマッカチンを構いたいし、ヴィクトルに構ってほしい。どうしよう、このままじゃ夜が終わっちゃう。
 ちょっとだけで良いから、したいな……。
 ソファに座っているだけなのにヴィクトルは今日も格好良い。こっそり見ていたことも忘れすっかり見惚れていると、ヴィクトルが前触れなくこちらを向いた。伸ばされた手のひらが僕の太ももを往復する。あ、その触り方、やらしい。
「勇利、今夜もえっちしようね」
 綺麗に微笑む唇から聞こえた言葉に目を見開く。
「え、なんで……!?」 
「あれ? 違った?」
「違くない! あっ、でもいやそうじゃなくて!!」
 なんで僕の考えていることが分かったんだろう。
 恥ずかしさに顔が一気に熱くなる。両手をブンブンと振って否定する僕を見て、ヴィクトルは上機嫌に笑った。
「さっきから心の声がだだ漏れだったよ」
「嘘、もしかして口に出てた……?」
「全部かは分からないけど、えっちするのかな、は聞こえたよ。あとは随分と熱心な視線もね」

 音が聞こえそうなくらいに完璧なウィンクが僕の心を直撃する。確実に心臓がひゅっと縮んだ。なんてことだ。今度からヴィクトルを見るときは口を塞いでおかないといけない。
「大丈夫、俺も期待してたから。勇利も同じ気持ちでいてくれて嬉しい」
 蕩けそうなほどに柔らかな瞳は、もうテレビなんて見ていなかった。それはさっきから僕も同じだけど。
 引力が働くように自然と唇が重なる。口内を荒らす熱い舌が気持ちいい。もっとして欲しくて自ら舌を差し出せば、心得たとばかりに応えてくれた。

 しばらくの間交わった唇が濡れた音を立てて離れる。
 起き上がったマッカチンが静かにソファから降りて、リビングに用意されている寝床に落ち着いた。これから僕達がすることを予想されているようで、何だか居た堪れない。
「マッカチンって、僕達の話してること分かってるよね……?」
「そうだよ、俺達のマッカチンだからね」
 誇らしげに言う声に笑ってしまう。マッカチンはいつでも僕達に一番近い、とても優しい理解者だ。

 ヴィクトルがテーブルに置いていたリモコンに手を伸ばす。テレビから溢れていた音と光が消え、部屋に静けさが訪れた。
 会話を止めてしまえば、早鐘を打つ心音まで聞かれてしまいそうで落ち着かない。恥ずかしさに俯くと、長い腕が僕を膝の上に引き寄せた。僕を抱き締める力の強さに期待で胸が震える。僕、これから食べられちゃうんだ。
 繰り返される深いキスに、準備を済ませた身体の奥が疼く。服の上から身体を撫で回す手のひらに焦らされ、翻弄されるばかりだった。力の入らない指先でヴィクトルへと縋り、我慢出来ずに続きを強請る。
「ね、早く……」
「勇利は可愛いね。心配しなくても、まだ夜は終わらないよ」
「もう。この前、夜は短いんだからって言ったのヴィクトルだろ」
 僕ばかり必死で、夢中になっているみたいで悔しい。ここまで来ても余裕を崩さない態度に、むすりと口を尖らせる。あの夜はヴィクトルが僕を急かしてそう言ったのだ。
「そうだったね。でも大丈夫。夜が短いと言うことは、朝が長いってことだ。夜だけじゃ足りないなら、朝も愛し合おうね」
「明日は朝からデートじゃないの?」
「するよ。朝のあとには昼も夜も待ってる。帰ってからも続きがしたいな。何にしても、勇利と過ごす時間の長さは変わらないよ」
 屁理屈だと言おうとしたら、身体が急に浮き上がった。ヴィクトルが僕を横抱きにして立ち上がったのだ。
 慌てて腕を回し、ヴィクトルに抱きつく。無言で抗議すると、緩やかな弧を描いた唇が頬に優しく触れた。
「ベッドまで連れて行ってあげる。今夜も勇利のこと、全部愛したい」
「ヴィクトル、……全部、食べてね」
「もちろん、残さずいただくよ」
 屁理屈には納得していないけど、仕方ないから誤魔化されてあげることにした。
 何故なら夜が長くても短くても、今夜の僕の希望は全て叶いそうだから。

2023年10月29日