「知ってた!」

 勇利がリップバームを塗っている。
 心も身体も勇利のケアは俺の仕事だが、最近は自分でも身体のケアをするようになった。身嗜みに気を配ることを覚えた勇利に成長を感じ、俺は誇らしい気持ちと寂しい気持ちの両方を抱えて複雑な心境だった。勇利の瑞々しくあたたかな唇に触れたい。指だけでなく、唇でも。

 あっ、という勇利の声が聞こえ、意識が現実に引き戻された。
「付け過ぎちゃった」
 視線を向けると、へにゃりと笑う唇が目に入った。見れば確かに、付けすぎたらしいリップバームが唇の上に白く残っている。余ったそれは指先にも残り、まるでホイップクリームの味見でもしていたかのようだ。
 これ幸いと勇利のそばに寄り正面から抱き締める。細い腰に腕を回し、眼鏡越しの瞳を見つめて強請った。
「俺に付けて」
「貰ってくれるの?」
「うん、乾燥は大敵だからね」
「じゃあ、目、閉じて」
 俺を見上げる愛らしい声に言われるがまま瞼を閉じ、唇を軽く突き出してキスを待つ。キス以上のことだって何度もしているのに、いまだに鼓動が早くなるのを止められない。
 慣れた唇の柔らかさを期待していると、暫くして予想とは違う感触があった。リップバームを塗っているのは勇利の唇ではなく、指先だとすぐに気が付いた。瞼を開ければいたずらが成功した子供のような顔で、勇利が得意気に笑っている。
「キスするとでも思った?」
 俺の可愛い子豚ちゃんは上機嫌だ。

 勇利、俺はね、と言いながらチョコレート色の瞳を覗き込む。逃さないように身体を密着させ、勇利の項を撫でた。
「欲しいものは自分で掴みに行く男なんだ」
 聞いた勇利はきょとんとした後、明るい笑い声を響かせた。リップバームで潤った唇は伸びやかに弧を描く。
 求めてやまないその柔らかさに狙いを定め、俺は今度こそ唇を押し当てた。

2023年10月29日