バニラの虜

 勇利は可愛い。
 恋人としての贔屓目も、もしかしたら多少はあるのかもしれない。けれどそれを抜きにしても俺の勇利は可愛いのだ。そう、勇利の望みなら何でも叶えてあげたくなってしまうほどに。

 薔薇色に染まる頬、ふっくらとした艶やかな唇、きりりとした太い眉毛。出会ったばかりの頃は隠してしまうことが多かった感情を、ありのまま真っ直ぐに映すようになった瞳。勿論青いフレームの眼鏡もチャームポイントだ。そして忘れてはいけない、強請るように俺の名前を呼ぶ声すらも可愛らしい。
「ねえヴィクトル? はやく」
 うっかり手が止まっていたことを咎められ、意識を目の前の勇利に戻した。考えているのが勇利のことでも、可愛い恋人は俺の視線が自分に向けられていないと不機嫌になる。向けられる好意と素直な甘えに自然と口が緩んだ。今はただ、目当てのものを急かしているだけなのかもしれないけど。
「うん、今あげるよ。俺の可愛い子豚ちゃん」
 勇利は俺の呼び方に一度不満げに唇を尖らせたものの、アイスを乗せたスプーンを差し出すとするりとその唇を解いた。何の躊躇いもなく、無防備にアイスを口の中に迎え入れる姿に目眩がしそうになる。

 チムピオーンでの練習帰りに寄ったスーパーで、たまたま目に付いたカップアイスを手に取った。毎日真面目にトレーニングを重ねる勇利へ、息抜きとご褒美を兼ねて。
 最もそれはただの言い訳で、単純に喜ぶ顔が見たかったのだ。いつの間にか、俺の判断基準はすっかり勇利が喜ぶかどうかに変わってしまった。
 家に着き、ソファに落ち着いた勇利に半分だけなら食べてもいいよとアイスを差し出したときの反応と言ったら。
 その表情が見たくて買ったようなものだ。あまりの可愛さに勇利の顔中にキスをしてしまうほどだった。いつもしているなんて野暮な話はこの際なしにしよう。
 全部食べてしまわないように俺が食べさせてあげることを条件に出すと、アイスを食べられる喜びと恥じらいを混ぜ合わせた何とも難しい顔をされた。
 勇利に職権乱用だと訴えられても譲るつもりはない。これは勇利のコーチであり恋人である俺だけに許された特権なのだ。

「半分だけって言ったけど、この食べ方でなら勇利、全部食べていいよ」
 アイスを掬ったスプーンを勇利に差し出す振りをして、俺は自分の口に放り込んだ。
「あっ!」
 カップとスプーンを素早くテーブルに置き、僕の、と抗議の目を向ける勇利に顔を寄せた。空いた両手で柔らかな頬を捕らえ、唇を重ねる。勇利の肩がピクリと跳ねた。冷えた手のひらが、触れた頬の熱を吸収して同じ温度に変わっていく。
 合わさった唇から、溶けかけたアイスを舌で勇利の口内に運ぶ。抵抗も束の間、伸ばした舌を絡ませると勇利が瞼を閉じて舌を擦り合わせた。アイスで冷えた口内の温度を塗り替えるように。
「……ん、ぅ」
 音を立てて唇を離す。
 二人分の熱ですぐに液体になってしまったアイスを、ミルク色をした喉元が動いて混ざった唾液ごと嚥下した。名残惜しさに唇を一舐めすれば、濃厚なバニラのフレーバーが舌先に残る。

 吐き出された息は甘い。潤んだ瞳が戸惑いを告げていた。嫌なら怒れば良いものを、チョコレート色の瞳がこの行為の続きへの淡い期待を覗かせている。テーブルの上のアイスを一瞥すると、それはまだ半分以上残っていた。
 本当に、どうしたものか。
「勇利はどうしてそんなに可愛いの?」
 戻した視線で再び勇利を捉えると、勇利がバニラ味の唇を今度こそ尖らせた。愛らしい頬は赤く染まったままだ。
「ヴィクトルが可愛いって言うから可愛くなったんだよ。だから責任取ってこれからも可愛がって」
 降参だ。
 深くため息を吐きアイスのカップへと手を伸ばす。俺は負けを認めるべく、スプーンでアイスを掬ってみせた。
 期待を隠すこともせずに勇利の従順な唇が開く。待つのはスプーンと俺の唇、どちらだろうか。

 どちらにしても結局のところ、全てを叶えてあげるだけなのだ。俺を惹きつけて離さない、魅力に溢れた恋人のために。

2024年5月7日