魔法、あるいは引力について

 勇利と恋人同士になって、それなりの月日が経つ。
 付き合いだしてすぐの頃の勇利は抱き締めれば緊張で身体を固くし、愛を囁けば「僕も」と小さな声で返してくるのが精一杯だった。それでも瞳は俺への好意を隠さず真っ直ぐに向けてくるのだから、彼の初々しい反応にはくすぐったい心地にさせられたものだ。今は余裕が生まれたのかそのような反応も少なくなり、二人で自然と寄り添える関係に変化した。
 勿論どちらの勇利も愛おしいことに変わりはなく、俺は幸せな毎日を過ごしている。

「勇利。実は俺、魔法が使えるんだ」
「……魔法?」
「見せてあげる」
 きょとんとして聞き返す声に頷き、勇利へと両腕を広げて微笑んだ。
 勇利は不思議そうな顔を浮かべながらもすぐそばまでやって来ると、広げた腕の中に自然と納まった。細い腰を抱き寄せれば俺の背にも腕が回される。胸に頬を寄せ、定位置に落ち着いた勇利が俺を見上げた。きっとこれから魔法を見せてくれるのかな、と思っているに違いない。
「今俺が魔法を使ったの、分かった?」
「え、もう使ったの? いつ?」
 全然分からなかった、と丸い飴色の瞳をぱちくりさせた。愛しい恋人は驚いている顔まで可愛い。
 俺は種明かしをするべく、抱き締める腕に力をこめた。
「ほら、これが魔法だよ。腕を広げれば勇利がそばに来て抱き締めさせてくれる。素敵な魔法だろう?」
 意味を理解したのか、勇利が表情を緩める。艶めいた唇が小さく笑みを零すと、無邪気な声で俺の名前を呼ぶ。澄んだ瞳がきらりと光って見えた。

「ねえヴィクトル。それなら、僕も魔法使えるよ」
「勇利も? どんな魔法?」
 予想もしていなかったことを言われ、俺は目を丸くした。
 見せてほしいと素直に頼めば、勇利が片手で器用に眼鏡を外して握り込んだ。ああ、そんな持ち方をしたらレンズに指紋が付いちゃうよ。俺がやると怒るのに。もはや顔の一部とも言える眼鏡の心配をしていると、勇利が目を瞑り、ん、とほんの少し唇を突き出した。

 なんて魔法だ。これはどうあっても抗えない。
 キスを待つ顔は柔らかな頬だけでなく、耳までもうっすらと赤く染まっている。自分から言い出したのに、実際にやってみると照れてしまったらしい。勇利が目を閉じていて良かった。気恥ずかしさが伝染して、今は俺の顔まで火照っている。まさかこんな魔法が使えるだなんて思ってもみなかった。
 いとも簡単に魔法にかかった俺は、震える愛らしい唇に迷うことなく吸い付いた。かけられた魔法はすぐに解けるものではなく、何度も何度も口付けを交わす。まだ足りない、もっとしたい。触れ合った場所から欲求があふれ出し、まるでキスをする度に効果が倍増していくようだ。

 俺の胸を力なく叩く勇利の手で、魔法は一旦解けてしまった。
 ぽってりと濡れた唇が深く息を吐き出す。
「効き過ぎだよ……」
 涙目で見上げてくる勇利に、俺は苦笑した。仕方がないだろう。あまりにも効力が強すぎるのだ。
「勇利を愛してるから、俺には魔法がよく効くんだ」

 もっと熱を堪能したくて、抱く腕に力がこもる。
 息を整えた勇利が目を瞑り、もう一度俺に魔法をかけた。呪文すらないのに自然と引き寄せられる。もしかしたら勇利は魔法だけでなく、引力も操れるのかもしれない。
 そんなことを真面目に考えながら、俺は再び腕の中の恋人に夢中になった。

2023年10月29日