リンクメイトの見解

 ベンチに腰掛けて午後の練習の準備をしていると、背後のドアが開いた。入って来た練習着姿のヴィクトルと目が合うと、軽く手を挙げてこちらへとやって来る。
「勇利は?」
「ユーリとカフェテリアにいるんじゃないか? そろそろ来ると思うが」
「そっか」
 挨拶もそこそこに、ヴィクトルが人一人分の間を空けて隣に座った。いつもならすぐに弟子の元へ直行するヴィクトルにしては珍しい。
「どうした、迎えに行かないのか?」
「勿論行くよ。……ねえ、勇利とユリオって仲良いよね」
「ん? ああ、そうだな。私からは兄弟のように見える」
「……俺達はどう見える?」
 勇利に意識されないんだ、と隣に座る男が呟いた。意外な言葉に目を見開く。
「なんだ、お前達付き合っているんじゃなかったのか」
「健全な師弟関係だよ。残念なことにね」

 まさかのヴィクトルの発言に面食らった。すぐに二人の世界に入っては他の者を一切寄せ付けず、普段からあれだけ引っ付いておいて? こちらの視線の意味に気付いたのか、ヴィクトルは肩をすくめた。
「もう全然。慣れちゃったのかな……まあ、距離置かれるよりかは良いけど。カメラの前にいるような格好してると、未だに固まって俺を直視してくれないよ」
 それはそれで嬉しいんだけどね、複雑だとため息を吐いた。ヴィクトルは膝の上で頬杖をつき、雲間から薄く光の差す窓の外を眺めている。その右手に光る指輪を眺めながら、大変だな、と相槌を打った。
 昔から他人に執着せず、人との約束すら忘れがちなこのリンクメイトが右手の薬指を差し出す相手。二人の間にも色々あるのだろうが、それにしても彼がヴィクトルを意識していないとは。しかも当の本人が自身の弟子の想いに気付いていないことも、にわかには信じがたい。

 先程ヴィクトルが入ってきたドアから、昼食を済ませたらしい二人が戻ってきた。
「噂をすれば。戻ってきたぞ」
「本当だ。勇利!」
「ヴィクトル!」
 即座に立ち上がり、ヴィクトルが二人の元へ駆け寄っていく。正確には愛弟子の元へ。
「じゃあ早速始めようか」
「はい、よろしくお願いします!」
 聞こえてくるのは練習時なら何処のリンクでも聞くような会話だ。
「今日はジャンプ中心のメニューだったね」
「き、昨日は成功しないで終わったから……」
「大丈夫、勇利なら出来るよ」
 ヴィクトルが、きまり悪そうにしている弟子の右手を取り指輪に口付けた。あれは、いくら考えても普通の師弟ではしない。二人の様子を見ていたユーリは不快なものを見たとばかりに心底嫌そうな顔をしている。

 ちょうどそのとき、歩いてきたヤコフコーチがヴィクトルを呼び付けた。
「ごめん、ちょっと行ってくる。勇利は先にアップ始めてて」
「はい!」
 弟子は自分のコーチの背中を見送った後、右手の指先へ視線を落とした。頬を赤らめて指輪を見つめるその表情は、誰がどう見ても。
「もう少し、素直な態度を示したらどうだ?」
「すすす素直って!?」
「いや驚きすぎだろ」
 ユーリの素早い突っ込みが飛ぶ。
「何の話!? ぼ、僕達健全な師弟だから! 変なこと言わないで!」
 動揺を全く隠せずに角張った歩き方でリンクへ近付いていく。あの歩き方、逆に器用だな。見守っていると、いつの間にか隣に来ていたユーリがため息と一緒に愚痴を吐き出した。
「あのカツ丼、休憩中もずっとヴィクトルヴィクトルって言い続けやがって、ぜんっぜん休んだ気がしねえ」
「二人とも、自覚はしっかりあるんだがな」
「あんな不健全な師弟いるかよ」
「全くだ」

 近寄れば余計な面倒に巻き込まれそうだから、あまり二人には近寄らない方が良い。だが、古くからのリンクメイトがようやく見つけたたった一人の相手だ。
 ライバルである彼らのメダルについては祈ってやれないが、二人の未来が明るいものであるようにと、願うことくらいはしてやっても良いだろう。
 そう思いながら、自分も練習に励むべく、滑り慣れたリンクへと降り立った。

2023年10月29日