一名様限定ご予約席

 「金メダルで結婚」と告げたのは俺だから、まだ金メダルのない勇利にプロポーズをすることは憚られた。それでも俺と勇利の未来を繋ぐものが欲しかった。見えないよう心の奥底に隠した不安を取り除き、安らぎを得られるもの。
 結婚の話だって俺が勝手に言い出したことだし、勇利も結婚について言及してくることは一度もなかった。俺は本気なのだと、あのとき伝えられていたら良かった。

「今夜二名で予約出来る? そう、勇利とだよ」
 顔馴染みがオーナーを務めるレストランを予約しようと、俺は使い慣れたスマートフォンを手にしていた。勇利も何度か連れて行ったことがあり、この店でのディナーを提案すると可愛い弟子兼同居人は顔をほころばせた。ちょうど美味しいワインが入ったと言うので、たまには二人でグラスを傾けるのも良いだろう。節制を続けている勇利にもたまには息抜きが必要だ。

 簡単な挨拶とともに通話を終えると、俯いた勇利がソファに座る俺のそばへとやって来た。
「ヴィクトル、僕、予約したいんだけど……」
 勇利が眉を寄せ、決意を込めた表情で立っている。先ほどまでマッカチンに「今日は久しぶりにお肉が食べられる!」とはしゃぎながら報告していたのに。どうやら俺が電話をしている間に、勇利の中で何かが起こったらしい。
 どこか行きたい店を思い出したのだろうか。もしくはいつも俺が済ませてしまうから、自分でも予約をしたいと思ったのかもしれない。申し訳ないだとか、毎回リードされてばかりでは男が廃るだとか。こう見えて負けず嫌いな面もあることだし。

 空いたソファの座面を軽く叩いて隣に座るよう勧めたが、勇利は首を横に振った。そこから動こうとしない勇利を見上げ、話の続きを促す。いずれにせよ、彼がしたいと思うことをさせたかった。
「良いよ。何処に行きたい? 今夜はもう予約しちゃったから、次は勇利の行きたい店にしよう」
「そ、そうじゃなくて!」
 一度は俺に向けた視線をあちこちに泳がせながら、緊張した面持ちで言いよどんだ。勇利は掌をぎゅっと握りしめると、今度はしっかりと俺の瞳を捉えた。
「ヴィクトルの隣の席を予約したいんだけど、空いてますか?」
「俺の隣?」
「その、……これから先も、ずっと」

 伝えられた言葉に息が詰まった。店の話ではない。どこに話が飛躍したのかと思ったが、これは二人の未来の話だ。
 勇利が俺の隣にいたいと思ってくれている。俺は信じられない気持ちで、強い意志を放つ飴色を見つめ返した。
「金メダルは、欲しくても今日明日ですぐに取れるようなものじゃないから。それで、ヴィクトルが予約の電話してるのを見て、僕も予約出来れば良いのになって思ったんだ。駄目、かな……?」
 不安そうに立ち尽くす勇利に、俺は我に返った。そんなの、答えはひとつしかない。
「空いてる。ずっと空けてたよ。予約なんてしなくても、俺の隣は勇利だけだ」
「ほ、本当!? 金メダルまでじゃないよ? その後も、おじいちゃんになってもずっとだよ?」
「本当。……あーあ、勇利に先を越されちゃったな」
 苦笑しつつもう一度空いた座面を叩くと、勇利は素直に俺の隣へと腰を下ろした。

 抱えていた悩みが思わぬ方向から解決して気が抜けてしまった。大きく溜め息を吐いて、勇利の肩にもたれかかる。当の本人は明らかにほっとした様子で、赤くなった頬に両手を当てて冷ましていた。可愛い。
「良かったぁ……あー緊張した!」
「そもそも俺に勇利以外の相手が出来るとでも思ったの? 指輪もあるのに」
「指輪はそういうのじゃないし! 言っただろ、指輪はお守りだって」
 勢いよくこちらを向いて主張した勇利は、薬指に金の指輪が光る自身の右手を、もう片方の手で大事に包み込んだ。
「金メダルは取るよ。でも、約束が欲しかったんだ。僕、ヴィクトルに金メダルで結婚だよって言われたとき、返事してなかったし」
 あのとき、本気にして良いんだよねって、言えていたら良かった。そう言って勇利は力なく笑った。初めての感情で手一杯になっている間に、勇利を不安にさせていたなんて。こんなことになるなら、俺は本気だって早々に念押ししておけば良かった。

「ごめんね勇利、余計な心配をさせた」
 抱き寄せた身体は、抵抗もなくすっぽりと腕の中に納まった。何の整髪料も付けていない柔らかな髪に頬擦りをする。俺と同じシャンプーの香りに、こんなに毎日一緒にいて勇利の気持ちに気付きもしなかった自分を不甲斐なく思った。
「寧ろ俺は、勇利以外に座らせるつもりはなかったよ。ずっと前からね」
「そうなの?」
「そうだよ!」
 勇利がきょとんとした顔で腕の中から俺を見上げた。薄く開いた唇を直視してしまい、心拍数が上がる。
 平常心を装って、俺は今まで抱えていた思いを打ち明けることにした。金メダルで結婚は本気だと言うことも、プロポーズをしたいと思っていたことも、勇利と同じで約束が欲しかったことも。勇利は驚いたり顔を赤く染めたりしながら、俺の話に耳を傾けてくれた。
「そっか、そうなんだ……」
「ありがとう勇利、俺と同じ気持ちだって教えてくれて。勇利が踏み出してくれたからだよ」

 胸に添えられていた勇利の手がゆっくりと背に回され、俺達は同じ体温になる。
 長い間伝えたかった言葉が胸の奥底から湧き上がり、もう俺は我慢することなく愛らしい耳元にそっと囁いた。

2023年10月29日