愛情だけが詰まっている

「俺、勇利からのラブレターが欲しい」
「は?」
 突然の要望と共に手渡されたレターセットに、僕は面食らった。
 どうやらヴィクトルは、日本にはラブレターの日があることを知ったらしい。いつも何処でそんな情報を掴んでくるのだろう。僕なんて今初めて知ったのに。
「勇利は気持ちを言葉にするのが苦手みたいだからね。心配しなくても、言葉がなくたって勇利の愛はちゃんと伝わってるよ。でも、たまにで良いから勇利の気持ちも形にして欲しいな。仕事を頑張る俺にご褒美、ちょうだい?」
 僕が小首を傾げてのおねだりに弱いことを、ヴィクトルはよく知っている。
 最終的には僕が言うことを聞いてくれると信じているのだ。僕は僕でそんな顔に毒気を抜かれて、ついつい仕方ないなあ、って許してしまう。
 ついでに言うと、立場が逆になればヴィクトルも「仕方ないなあ」と苦笑しながら僕のおねだりを聞いてくれる。結局はお互い様なのだ。だって僕はヴィクトルが好きだし、ヴィクトルも僕が好きなのだから。

 明後日から五日間、ヴィクトルは仕事で国外に出る。つまり今回のおねだりは僕達が離ればなれになる間を乗り切る為のエネルギーが欲しい、ということらしい。
 ラブレターを欲しがる経緯を知って、僕は下唇を噛んだ。悔しい。いくら好意を言葉にするのが得意でないとは言え、こうまで言われたら引き下がれない。この場面で突っぱねてはただの甲斐性なしだ。書いてやろうじゃないか、ヴィクトルを唸らせるようなラブレターを。
 これはおねだりされたから書くのではない。男、勝生勇利。恋人の為にラブレター、書きます。
「僕、今日、一人で寝るから。おやすみ」
「ゆうりぃ……」
 決意を胸に、手元のレターセットを力強く握り立ち上がる。僕が機嫌を損ねたとでも勘違いしたのか、絶望したようなヴィクトルの声を背にして僕は自室に篭もった。

 机に向かい、目の前に置いたレターセットをじっと睨む。
 ラブレターって何が書いてあるのだろう。正直書いたこともなければ貰ったこともないのだ。こういったものはテレビや噂話の中の存在で、兎に角僕とは縁遠いものだった。ヴィクトルなら大量に貰っているだろうけど……。あ、嫌だな。何だかもやもやする。ヴィクトルは書いたことあるのかな。分からないけど、出来れば書いたことがないと良い。
 とりとめのないことを考えながら、包装を開けて中身を取り出す。真っ白で手触りの良い便箋と封筒は、周囲を花の形の凹凸で飾られていた。

 花の輪郭を指先でなぞり、何を書こうかと思いを巡らせる。「好き」の一言さえあればラブレターとして成立するのだろうか。ヴィクトルならきっと、それだけでも喜んでくれる。僕が贈ろうと思ったことに意味があるんだって。でも、その優しさに甘えてばかりじゃ駄目だ。僕は僕なりに、好きの気持ちを伝えたい。

 ヴィクトルに好きだと言われると、胸があったかくなって、ふわふわした気持ちになる。くすぐったくて、自然と口角が上がってしまうような。そこにヴィクトルの体温と匂いも加われば、あっという間に心が満たされていく。厚く広い胸板に包まれる心地よさと首筋に顔を埋めたときに香る甘やかなフレグランスは、すっかり僕の心と身体に染みこんでいた。
 伝えたことはないけど、普段は穏やかで優しいヴィクトルが夜になると荒々しく僕を乱すのだって、本当は好きだ。必死に僕を求めるヴィクトルの格好良さにドキドキして、抵抗も出来ず毎晩のように翻弄されてしまう。
 それも嫌なのではなくて、ヴィクトルの大きくて深い愛情の海に溺れて余裕がないだけなのだ。僕を快楽の波に突き落とすのも引き上げるのも、全部ヴィクトルだから。終わった後の蕩けた空気も二人で迎える朝も、全てが大切で愛おしい。たまには喧嘩もするけど、それだって二人の大事な時間だ。
 全部書いたら、喜んでくれるかな。僕だって好きな人に喜んでもらいたい。ヴィクトルの好きなところ、全部書こう。
「よし!」
 気持ちを伝えるべく、僕はペンを手に取る。その夜はあっという間に更けてしまった。

「今日は一緒に寝よう? 勇利、お願い。何もしないから」
「うん、いいよ。僕も一緒に寝たい」
 明日から家を空けるせいか、ヴィクトルの表情は懇願に近かった。だって今夜を逃したら次に一緒に眠れるのは五日後なのだ。充電したいって思っているのはヴィクトルだけじゃないんだからね。そう言って口を尖らせようとしたけど、返事を聞いたヴィクトルが瞳を輝かせてとても嬉しそうな顔をするから、僕の口はふにゃふにゃとしまりのない形になってしまった。
「ねえヴィクトル。僕、明日オフだけど。……何も、しないの?」
「……優しくする」
「ヴィクトルの好きにして、いいよ」
 驚きに見開かれた瞳が、欲望を隠しきれずに歪む。僕の名前を呼ぶヴィクトルの声は硬く、焦りと真摯さが滲み出ていた。きつく抱き締めてくる腕の強さが嬉しくて、僕は無言で広い背中に腕を回した。

 翌朝、気だるい腰に手を当ててヴィクトルを玄関で見送る。ラブレターは昨夜ヴィクトルがお風呂に入っている隙に、スーツケースの中へとこっそり紛れ込ませた。欲しいと言われた夜に書き上げておいて良かった。家の中でも外でもいつも一緒にいるから、僕達は一人になる時間が少ないのだ。
「何かあったらすぐに連絡すること、何もなくても連絡して。俺もするから。良い? 勇利」
「もう、分かってるって」
 家を空けるときに必ず言われる台詞を聞き流しながら、忍ばせたラブレターにヴィクトルがいつ気付くのかを落ち着きなく考える。過保護だなって思うけど、本当はそんなところも好きだとか。今回のきっかけがなければ口にしなかったようなことも拾い上げ、僕は便箋に綴った。
「本当かい? 分かったならキスして」
「ほら、早く行かなきゃ遅れちゃうよ」
「勇利のキスがないと頑張れない」
「……仕方ないなあ……」
 目の前の逞しい胸に両手を添えて、少しだけ踵を上げた。近付いた唇に自分のそれを触れ合わせる。離れようとすると、長い腕がすかさず僕の身体を囲い込む。昨夜フル充電したはずなのに、離れると思っただけでもう足りなくなってしまったみたいだ。
 僕達はしばらくの間唇を触れ合わせ、出発するギリギリの時間までお互いの温度を分け合った。

 ヴィクトルを見送った後、自分の部屋の机に見覚えのある封筒を見つけた。
 おかしい。昨日確かにスーツケースに入れたはずなのに。焦って机に駆け寄れば、封筒には見慣れた筆跡で「勇利へ」と書かれていた。恐る恐る封筒を手に取り裏返すと、そこにもやはり同じ筆跡で署名が入っている。ヴィクトルの書く字を見慣れることになるなんて、子供の頃は思ってもみなかった。
 これ、もしかしてヴィクトルからのラブレターってこと? ヴィクトルも書くなんて一言も言ってなかったのに。どうしよう、信じられない。本当に?
 早くなる鼓動を感じながら、僕は震える手で封を切った。

 鼻声になりながら電話をする僕に、出掛けたばかりのヴィクトルが焦って家まで帰って来ようとするのも、夜になりラブレターを見つけたヴィクトルが感極まった声で電話をしてくるのも、それはまた別の話。

2023年10月29日