気付いてないのは二人だけ

 勇利が俺を見ていない。
 リンクに入る前、俺を見ていてと言ったときはキラキラした瞳で頷いてくれたのに。
 勇利はリビングレジェンドなどと呼ばれる俺に対する憧れを隠さず、いつも熱心に見つめてくれる。今はそれだけで良い、俺を見てくれるなら。だけどいつかは振り向かせてみせる。勇利の瞳に映るのはいつだって俺でありたい。氷上でも、それ以外でも。それなのに、リンク上での俺すら見て貰えないなんて。思いの外ショックは大きく、ヤコフの小言は全て聞き流してしまった。

 沈んだ気分のまま、練習を終えた俺はリンクサイドにいる勇利の元へ滑り出す。今日の勇利の練習は終わっていたから、俺の練習が終われば一緒の家に帰る予定だ。
 勇利のそばにはユリオとミラがいて、三人で何かを話し込んでいた。当の勇利は、顔を赤くして何やら慌てて弁解しているように見えた。どうせミラにまた揶揄われているのだろう。構ってくれるのは有り難いけど、俺の可愛い弟子をあまり揶揄わないでやってほしい。気落ちしていたことも忘れ、早く助けてやらねばと急いだ。
 気付いたユリオがおい、と声を掛けても勇利は気付かずにミラと話を続けていた。三人に近付くにつれ、話し声が耳に入る。
「僕はただヴィクトルと」
 ん? 俺の話? 自分のことを話しているとは想像もしていなかっただけに、自然と緊張が走った。
「恋人になりたいだけなんだけど、」
「ゆう……り?」
 思わず漏れた声に勇利が振り向き、ようやく俺の存在に気付く。そして聞かれた、と言わんばかりの焦った勇利の顔。
 まさか勇利が、俺と? 恋人になりたい? これは夢か? 現実を上手く受け止められず、思考と共に身体も固まった。だけど熱だけはぐんぐん上がっていく。きっと先程の練習で上がった熱よりも更に熱い。

 リンクサイドで顔を真っ赤にした成人男性が二人。
 近くにいるはずなのに遠くでミラの笑い声が響いた。同時にはっと我にかえる。
「……どうぞ」
「あ、ありがとう」
 消え入りそうな声で渡されたエッジカバーを上の空でお礼を告げながら装着し、かき集めた荷物を片手にロッカールームへ急ぐ。
 もう片方は、勇利の手を握って。

 後日ミラに話を聞くと、「ヴィクトルをあまりにもうっとりしながら見てたから、相談に乗ってあげてただけよ」と、可笑しそうに彼女は言った。

2023年10月29日