そばにいさせて

『一緒にいたらきっと駄目になる。私達、距離を置きましょう』
 テレビから流れてくる女性の台詞に息を呑んだ。
 順調な関係を築いていたはずの二人が離れ、それぞれに降りかかる困難に一人で立ち向かう。その中でお互いの存在がどれだけ大切だったかを再認識していく。以前話題になっていた映画で、確かそんなストーリーだった。配信サービスは見たい映画をいつでもテレビで見られるから、気軽に楽しめて良い。

 肩に置かれていた手が、隣に座るヴィクトルへと僕を引き寄せた。目線だけで隣を窺えば、画面をじっと見つめている横顔が見えた。この左手はもしかしたら無意識なのかもしれない。僕は左手を上げ、肩を抱く温もりに触れる。言葉よりも雄弁な手が愛おしかった。すると、ようやく気付いたヴィクトルが僕に顔を向けた。
「勇利? どうかした?」
「ううん、ヴィクトルこそどうしたの?」
 何かあったのかと覗き込んでくる瞳に苦笑する。先に触れてきたのはヴィクトルなのに。ヴィクトルは僕と違って苦しげで、思いつめたような顔をしていた。
「俺は勇利と一緒にいない方が駄目になる。勇利がいなくなったら、俺はきっと、もう一歩も歩けないよ」
 照明を落としたリビングで、テレビの光を写して輝く青い瞳が切なげに揺れた。心配なんて、何もする必要ないのに。
「いなくなんてならないよ。これからも、二人でスケートするんでしょ」
 憂いを帯びた眼差しで僕を見つめる、ヴィクトルの頬を両手で包んだ。

 普段ヴィクトルが心の奥底に抱えている不安は、ふとした瞬間に顔を出す。僕が与えてしまった傷は、きっと完全に消えることはないのだろう。いつだって余裕で僕をまるごと受け止めてくれる人が、僕にも不安を見せてくれるようになったことが嬉しい。ヴィクトルが僕を支えてくれるように、僕だってヴィクトルを支えたいから。
「だからヴィクトルも、僕を離さないでね」
「俺が勇利を離すと思うかい?」
 少しだけ安らいだ表情に、笑いながら首を左右に振る。僕はいつの間にか、温かな腕の中に閉じ込められていた。世界で一番安全で、安心出来る場所。この腕の中は僕だけの居場所だ。ヴィクトルのそばにいない自分なんて、僕にだってもう考えられなかった。

 配信サービスは見たい映画をいつでもテレビで見られるから、気軽に楽しめて良い。それよりも今は、ヴィクトルと温もりを分かち合うことが最優先だった。

2023年10月29日